椅子取りゲームからの離脱

退職を前に思うこと

今働いている国内中規模会計事務所を退職し、9月で無職になります。

まさか30歳で無職になるとはと子供の頃は思ってもいなかったし、一つの会社で勤め上げて年収1000万程度を確保しつつ、妻と子供を持ちたいと思ってました。

私が思春期を過ごしたのは2005~9年で「女王の教室」や「逆境無頼カイジ」等の作品が人気で「資本主義のデスゲームで如何に勝つか」というテーマが時代の空気としてあったという風に記憶しています。

自分は岐阜の田舎の一人っ子として生まれ、父親が比較的裕福なサラリーマンであったので教育費にそれなりのお金をかけてもらえたお陰でその地域からは進学する事は難しい都内私立大学に進学する事が出来ました。

あまりお金に困ったことがないという点と人に見栄を張るよりも本や学問が好きなこともあって社会的成功よりも正しいことがしたいという意欲はありました。

自分の中での正しさは「社会指標の改善」です。社会の豊かさを維持するためには経済的基盤も大事ですが個々人の公共意識が基礎にあります。

しかし大学~社会人で学んだ事は学生社会人問わずそんなことも気にしている人は日本には誰もいないという現実でした。

沈みかけた船の中での座席争い

もちろん民間は政府が定めた法律の枠内で利益を上げる必要があります。
しかし肝心の政府が公共的な役割を果たしていない。代表的なのは今の日本銀行で、本来の役割は物価の安定であるにもかかわらず、13年以降の役割は財政ファイナンスの維持となっています。

日本の経済領域ではバブル時代から継続してきた、今や国際競争力で勝てないような重厚長大産業及び独占市場が継続しているため30年間の経済成長率は世界で下から3番目です。


その結果が実質賃金の低下、実効為替レートの低下、悪性インフレ、少子化となって表れています。全ては政策の失敗(及びそのような政治家しか選べない国民の失敗)です。

このような状況下では経済のパイが増えないので、個々人は「自分だけはなんとか生き延びたい」と思うようになり資格(士業)や政府に近い大企業へのすり寄りがすべての日本人の行動様式となります。


これが沈みかけた船の中での座席争いです

日本国民には公共意識や社会の持続性、思想的な基盤等何もありません。
(ジェンダー規範や環境意識、人権意識への対応を見てれば一目瞭然です)

そのような社会が今後発展するでしょうか?
私は限りなく0に近いし、経済的にも政治的にも社会的にも衰退は加速すると考えています。

懲りてバスを乗り換えよ

正直に申し上げて私は日本に希望が残っていると思っていました。
そうだと思ったから国の政策決定に近い政府系金融機関に新卒で入社し、私企業の生産性を上げるコンサルに入りました。
そのあとは士業でまったり生きていきたい(お上にすがっていい地位を保全したい)という下心から会計事務所に入社しましたがどこに行っても自分のポジション取りをする人しかいませんでした(自分への反省も含む)。

ヨーロッパの友人が複数いるのですがいつも政治経済社会の話題が中心で、そのためにヨーロッパではどのような運動があり、政策に落とし込まれているかを教えてくれています。
私もそのような社会で生きていきたいという想いからすべてを捨てて海外で暮らす事を目標に会社を辞めることにしました。

英語のスコアを戻すことと、生活の糧であるスキルを育てるために今後半年~1年で海外大学進学のために準備をしているところです。

もはやこの国で生活していると頭がおかしくなってしまう。
そんな思いが今の原動力です。





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