正道ルートを歩まなかった事について考える

 久しぶりに大学の友人たちのFacebookやInstaを見てみた。

僕の高校は中部地方の田舎の自称進学校で偏差値は50を切るレベル。

模擬試験中にゲームはやるわ地方国立に合格することが成功モデルとされるお世辞にもレベルが高いとは言えない高校でしたが、何の間違いか僕はそこそこ難しいと言われている大学に合格してしまった。


思春期あるあるの思い込みで勉学で自己研鑽をするべしという自己啓発の高揚感で受験勉強をこなしたため、それなりの熱意をもって勉強した結果でした。


ただやはりそれなりのレベルの大学には家庭環境が自分から見て恵まれている人が大半を占めるわけで…自分も家庭的には地域の中で相対的に恵まれている方でしたが中高一貫の名門私立高校や内部進学者が多く田舎出身の自分とは最初の1年間は打ち解けることができなかったですね。


ただ、1年も東京で過ごしていればそれなりにノリがわかるようになり、普通に友人や彼女ができるようになりました。そのうちに学問をまじめにやるよりもいい会社に入ることが正常な思考であると考えるように至り、その正道ルートを進むためやるべきことをやりました。

良い就職をするために大学時代に必要なこと、それは留学、就職に強いゼミ、海外インターン・ボランティア、国内バックパッカー、ある程度のTOEIC、異性関係等オーソドックスなものはある程度こなしました。

自分の本当にしたいことはどちらかというと学問(思想、社会学)だったのですが経済学部であったことと勝ち馬に乗る正道ルートを捨てきれなかったことが原因でそこそこの会社に就職することになります。


しかし人間の生来の性格はなかなか変わらないもので、そこそこの会社で自分を押し殺して愛嬌を振り撒いたり仕事や勉強に全力投球していてもどこか馴染めない、本心で相手に相対できていない事に対するストレスと自分の知識や教養が落ちていくことに対する危機感が強くなっていきました。


そこそこ報酬はもらえたために資産は築けたのですが元々田舎育ちでマウンティングにもあまり興味が持てなかったです。(不思議ですが最初の会社も、外資もここに注力してる人が大半でした)

そんなこんなでなんで自分は働いてるんだろう?という気が日に日に強くなっていきました。

アラサーなので子供を持つことで働く意義を皆見出しているのかなぁと思いますが自分の社会不適合さと今後の日本の将来を考えると生むのが可哀そうだなと思ってしまう事が大きいですね。

後生は自分の好きなこと(会計、ファイナンス、経済学、社会学)を行って家族と実家の土地を守りながら穏やかに生きていきたいなあと思っている所存です。

実家の近くの金木犀


とりあえず親の資産を分散させることとアメリカの資格を何個か取って読みたかった本を読みたいですね。


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